2010年10月30日土曜日

American people

   I  am  just     a   common  Japanese  parson, with no knowledges  about   politics,  but  just who worrys   on  world's   peace,  And   Difficulties   for   peoples   of  different    races of  people live  together.
    We   japanese  live  in   an   Island.
    But   You,   United  States has  much experience about Difficulties of    " peoples of different races &  religions  live  together".
  And I supporse    USA was  always   positive   to  accept  immigration  from the  bgginning,  pirgrim  fathers,     and  USA  people,   have    overtook  much   problems.  I  think.
 There    maybe  still lots  of  problems,     But history and  experience is  stocked.   To  live  with  differnt   race and  religeon s  neighbour.
 From  knowledges of  high ehtnology or psycology  , to "tecnics   of  daily  life  of  Granmma"  like  cooking  havin  partiy.
  

2010年10月27日水曜日

古代食メモ_3  タチバナと桃 大根

「たちばな」 伝説にもある通り、古代では貴重なもので、苗木を求めるために使者が出された。

「桃」も古代に入ってきたが、大変貴重なもので、伝説には魔力のある実として登場するが、大陸からの伝承から伝説の魔力果物として登場したものと思われる。

大根 ずっと後代に渡来。「おおね」はあったが別物で葉も食した。
ニンニク、ネギについては前記の通り、日本武尊も食したようだ?^^

古代食メモ_2 兵站 糒 携帯備品

坂上田村麻呂(8世紀)の軍規
兵は米か籾を支給されたが、徴兵された兵は糒(干し飯)6斗(現在の2斗4升)を(20-30kgくらいか?)を持参しなければならなかった。(持つのも経済的にもすごい負担だな)
*「糒」は玄米を蒸して、干したもの。
一日の量は8合(6合) 兵は行軍中3升5合8(4日分)を携帯。軽装な夷兵に比べて不利をもたらした。
「兵士は紺の布幕 銅盆、小釜、鍬、斧、鑿、鎌、鉗(かなはし現・かなばさみ、医療器具などの鉗子のこと???) を  「火」(10人の小隊) ごとに携帯しなければならぬ。」
「燧(ひうち)は隊ごとに一具、やいぐさ一斤(火種用の干し草か???) 鋸のこぎり一具..
飯袋1口水桶1口塩桶1口敷布1具靴1両を自ら備えよ刀剣はいうまでもない」  
*携帯は 各兵・小隊・一部隊(あまり大きいと行き渡らなさそうだ10人x5=50人くらいか?)の単位で管理が配分されていた。やいぐさ以下は各自の所持を意味してると思われる。 火種 飯 水桶 塩 シーツ、靴(ノコギリもか?)  
※は各自でもつが鍋は小隊持ちと。干しいいだから非常時はそのまま食えるはずだ。そうか〜。
*田村麻呂は現地屯田しながら粘り強くたたかう主義で成功を収めたらしい。設営工具とともに農耕機具もはいっているようだ。

古代食メモ−1 ニンニク、納豆、味噌醤油

中経文庫「英雄の食卓」から。
*納豆 奈良時代くらいには大陸より伝わった。「粘豆」ともいったが、塩をいれてつくる、浜納豆のようなものの原型がおおく、体に良いので軍の携帯食料としてももちいられたらしい。
*にんにくはもっと古くからはいってきていて、ヤマトタケルがイノシシを撃ち殺したと言う
弁当の 蒜 はニンニクである。
*ニンニク、ネギ、 また たちばななどは、その強い香りから、魔を払うような強い力があると考えられた。(洋の東西を問わずだが) 
私見 においだけでなく実際に殺菌効果もある。塩も同じだが、呪的な退魔効果のあると言われるものは、結局実際に魔(有害な細菌)を倒す効果がある、ということではないだろうか。
*味噌や醤油の原型は割と古くから合ったようだ。野菜・穀物・魚・肉なんでもから "醤"をつくり、その中でも上質のものを味醤と呼び珍重した。庶民の口等はなかなか入らなかったらしい。